「脳内画素」・絵がうまい、ということについて

さて、これは私が大学の頃に思い付き、以来ああでもないこうでもないと思索を繰り返

し、ある程度まとまったところで、その手の本を読んでみたら、ほぼ同じことが(コ

ラムの概念)誰かによって書かれていたので、まったくムダにおわった話をシャクだからこんなところで

公開するというものです。まあ、絵描きの内面から見た絵というものに関する話として

ご笑覧ください。

さて、みなさん。洋の東西、いまむかしを問わず、子どもの落書きというものが、ど

れもおそろしく似通っているという事実をご存知でしょうか?私は実はこの話を「初等美術教育論」か

なんとかいう実につまんない授業で知りました。しかも悲しいかな、

それは美術の先生になるための授業であって、「なぜそうなるのか」と

いうよりも、「それをどうやって導いていくのか」といった方向にしか話が進まず、

結局なんで似てくるの?という疑問には答えてくれずじまいでした。

それに対する当時の私の答えは次のようなものでした。

「多分それは、人間の脳の中に、さらに言うと画像認識のために、最初から

そういうパターンが入っているためだ」

それは別のところで知った、おサルの脳に電極突き刺して解ったとかいう、(まこ

とにサルには気の毒な)「顔ニューロン」「手ニューロン」からの発想だったと思いますが、

(脳の特定部位に、顔や手を連想させるパターンを見せると強く反応するニューロンがあるらしいというお話)

これが私のちっとも知らないところで、はるかに巧みに

「コラムの概念」として説明されていたのは上に述べた通りです。

要は、人間がものを見るときにはコンピュータのように面積を細分化した映

像を把握するのではなく、なんらかの形状パターンのなかから、近いものを当てはめて

いって、全体を再構成しているというお話ですね。

もっとも一般的な円や線、弧、そして単純な図形、連続性によるリズム。

つまり、子どもの絵というのは、本来その程度の認識ですんでいたはずの、人間の視

覚情報処理の原点がそのまま現れているというわけです。

私はこういう人間にとっての視覚構成要素を「脳内画素」と命名したのですが、

このネーミングだけは

すくなくとも今でも誰か使ってくんないかな、と思うほど気に入っています・

さて、ところで人間は、それからとんでもなく発達しまして、いつしか自分の見ている

ものをより正確に再現しようという試みにとりつかれるようになりました。

これはつまり、標準セットでは足りなくなったレゴブロックみたいなもんですな。

当時好きだったガンダムなんかを模写していると、それまでの自分の手持ちの「脳内

画素」では表現しきれない(見たものを同じように描いているんだけど、どう見ても

出力結果がちがう)部分が出てきて、

どんどん「つぶれた台形」とか「かっこいい六角形」とかの新しいボキャブラリを、

基本セットに加えていったものです。

多分ここではじめて「絵のうまいへた」という話が出てくるのでしょう。

さらに話がすすんでくると、今度は「基本セットの弊害」みたいな部分が出てきます、

つまり、これまで脳が「ここは手持ちの円でいいや」とかで済ませていた部分が

「なんか違うけど、円は円だしなあ」と思えてくるという話です。

これには最初に上げた「セットの拡張」とは違った難しさがあります。なぜかという

に、それは、これまでずっと馴染んでいた基本セットに変更を加えねばばならないから

でありまして、そのまま「先入観」というふうに置き換えてもいいかもしれませんが、

「ないものを加える」ことにくらべれば、「馴染んだものを変えていく」のは、

けっこう難しいものです。

実は人間の目はデフォルトの状態ではぜんぜん周囲を客観的に認識していません。そ

れはよく考えれば、生きていく上で便利な、取捨選択を勝手にやってくれているとい

うことだったのですが、

(例えば群れをつくる動物としては、仲間の顔の表情、特に目はくわしく把握したい

しかし処理としては、できるだけ簡単にすませたい。)

いざ正確に外界を把握しようと思えばこれがジャマになるのです。「目の幅と鼻の幅

がほぼ同じ」「耳から顔までの幅は、顔の幅とほぼ同じ」などのことには、あんがい

誰でもびっくりしたことがあるのではないでしょうか、絵を描いていると、たいてい

どこかでこれまでの脳内画素の基本セット、つまり「先入観」を、チャラにしない

と先に進めない瞬間というものがいくつもでてくるはずです。

と、いうわけで私は、「絵がうまい」ということの本質を、

1.「脳内画素」、形状認識のボキャブラリをどれだけ増やせるか

2.「脳内画素」基本セットの部分をどれだけ更新できるか

というしごくシンプルな部分にあるものだと思っておるわけです。

(これは色彩に関してもまったく同じです。)

ただ、ここでいう「絵がうまい」ことと、それが「いい絵」か?ということは

これがもう、まーったく別の問題なんだけどね

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