
| 享和三年の春二月廿二日の時ばかりに、当時寄合席小笠原越中守(高四千石)知行所常盤国はらやどりといふ浜にて、沖のかたに舟の如きもの遥に見えしかば、浦人等小船あまた漕ぎ出だしつゝ、遂に浜辺に引きつけてよく見るに、その舟のかたち、譬へば香盒(ハコ)のごとくにしてまろく長さ三間あまり、上は硝子障子にして、チヤン(松脂)をもて塗りつめ、底は鉄の板がねを段々筋のごとくに張りたり。海厳にあたるとも打ち砕かれざる為なるべし。上より内の透き徹りて隠れなきを、みな立ちよりて見てけるに、そのかたち異様なるひとりの婦人ぞゐたりける。 |
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